宮本茂のひらめきを「遊べる形」に変え続けた右腕・手塚卓志

ゲームのスタッフロールには、暗号のような名前が流れることがある。

ファミコン『ゼルダの伝説』。 クリア後に表示された名前の中に、こうあった。

「MIYAHON」 「TENTEN」

MIYAHONは、宮本茂。 TENTENは、手塚卓志。

二人は、雑誌のQ&Aコーナーでも、この愛称を使い続けた。 40年、ほとんどの『マリオ』を、隣同士で作った二人だ。

世界一有名なゲームキャラクターは、一人の天才ではなく、二人組から生まれている。

トップは、ひらめきを止められない

宮本茂。

『マリオ』『ゼルダの伝説』『ドンキーコング』。 世界中の子どもが知るキャラクターを、次々に生み出した。

そのアイデアは、止まらない。 作っている途中で、仕様が変わる。 「ここにキノコを生やそう」「やっぱりこうしよう」。

宮本のひらめきは、本物だ。 だが、ひらめきは、そのままでは遊べない。

誰かが、それを実際に動くゲームに変えなければ、 アイデアは、頭の中の妄想で終わる。

右腕は、ひらめきを「形」に変える

手塚卓志は、1984年に任天堂へ入社した。 大阪芸術大学で、デザインを学んだ男だった。

翌1985年、『スーパーマリオブラザーズ』を、宮本と二人で作る。

ファミコンの黎明期。 宮本がアイデアを出し、手塚がそれを、実際のステージとして組み上げる。

宮本が「こうしたい」と言う。 手塚が、それを遊べる形に翻訳する。

役割は、はっきりしていた。 トップは、ひらめく。 右腕は、ひらめきを手に取れるものにする。

宮本がいない場所で、マリオを作る

その関係を象徴する事実がある。

『スーパーマリオブラザーズ2』。

このとき、宮本茂は多忙を極めていた。 他のプロジェクトを、いくつも抱えていた。

そこで、ほとんどのデザインを担当したのが、手塚だった。

トップのひらめきを翻訳するだけの右腕なら、トップがいなければ止まる。 だが、手塚は止まらなかった。

宮本が何を面白いと感じ、何を退けるか。 ずっと隣にいた男は、それを自分の中に持っていた。

だから、宮本がいない場所でも、マリオを作れた。

黄金のトライアングル

任天堂には、有名な言葉がある。

故・岩田聡が名付けた、「黄金のトライアングル」。

宮本茂。 手塚卓志。 中郷俊彦。

この三人が、任天堂のゲームを支えてきた、という意味だ。

宮本の名は、世界中に知られている。 手塚の名は、ほとんど知られていない。

だが、岩田は知っていた。 ひらめく人間と、それを形にする人間。 両方が揃わなければ、ゲームは完成しないことを。

残ったのは、40年続いたシリーズ

『マリオ』は、40年続いている。

世界で最も売れたゲームシリーズになった。

それは、宮本茂のひらめきが、消えなかったからだ。 そして、そのひらめきを、毎回「遊べる形」に変える人間が、隣にいたからだ。

ひらめきをつくるのが、トップ。 ひらめきを、手に取れる形に変えるのが、右腕。

右腕とは、 トップが何を面白いと感じるかを、自分の中に持ち、トップがいない場所でも、それを形にできる人間のことだ。