井深大の夢を“ブランド”に変えた右腕・盛田昭夫

良いものを作れば、世界で売れる。

それは、技術者の美しい誤解だ。

戦後まもない日本で、誰も見たことのない製品を作り続けた男がいる。 ソニーの創業者・井深大だ。

だが、技術は名前がつかなければ、ただの部品で終わる。

そのことを誰よりも理解し、井深の夢に「SONY」という名前をつけて世界へ売り歩いた男がいた。 盛田昭夫である。

トップは、子供のように作る

井深大は、根っからの技術屋だった。

「面白い」「誰もやっていない」

その好奇心だけで、テープレコーダーやトランジスタラジオといった前例のない製品を生み出した。

だが、面白いだけでは会社は食えない。 特に、敗戦国の日本製品は安かろう悪かろうと外国で揶揄されていた時代だ。

右腕は、誇りを売る

盛田の仕事は、井深が作ったおもちゃを、世界を変える商品として認めさせることだった。

ある時、アメリカの大手時計メーカー「ブローバ社」から、トランジスタラジオの大量注文が入る。 条件は一つ。 「SONYのロゴを入れるな。ブローバの名前で売れ」OEM生産を強要された。

当時のソニーにとって、喉から手が出るほどの巨額取引だ。 誰もが飛びつこうとした。

だが、盛田は即座に断った。

今は無名かもしれない。だが50年後を見ていろ。 俺たちの名前は、あんたたちの会社より有名になっている。

下請けにならないという生存戦略

盛田が恐れたのは、目先の利益を失うことではない。下請けとして生きる安易な道を選び、SONYブランドを亡くすことだった。

一度でも他人の名前で売れば、技術は買い叩かれ、価格決定権を失う。それは、技術者・井深大の魂を売るのと同じことだ。

だから盛田は、茨の道を選んだ。

・自社ブランドでの販売網構築 

・安売りしない、価格維持 

・日本企業初のニューヨーク証券取引所上場

彼は井深に技術以外の心配をさせないために、ビジネスという戦場で最も派手に暴れ回った。

技術と商売の連帯保証

井深ができると言えば、盛田は根拠がなくても売れると信じた。盛田が売ると決めれば、井深は世界一のものを形にした。

この二人は、互いの領域を侵さなかったのではない。 互いの領域を、誰よりもリスペクトしていたのだ。

残ったのは、世界共通語になった4文字

ソニーは、ただの家電メーカーにはならなかった。 新しいライフスタイルをつくるブランドになった。

それは、井深大という「夢」を、盛田昭夫という「声」が世界中に届けたからだ。

右腕とは、トップが描く夢に、プライドという値段をつける人間のことだ。