【ビル・ゲイツ】会社を、潰しに来た男
ビル・ゲイツの天才を「世界標準」に変えた右腕・スティーブ・バルマー
「会社を潰す気か」
雇ったばかりの大学時代の友人に、ビル・ゲイツは怒鳴った。
1980年6月、社員30人のマイクロソフト。 スタンフォードのMBAを中退してきたばかりのスティーブ・バルマーが、入社初日に告げた言葉は、たった一つだった。
「あと50人から60人、雇うべきだ」
世界最大のソフトウェア企業の歴史は、創業者と右腕の、激しい衝突から始まっている。
トップは、全部を握りたがる
当時のゲイツは24歳。
世界一の天才プログラマーが、プログラマーであり、面接官であり、経理担当でもあった。
数字を計算する。 契約を読む。 社員の給料を決める。
すべてを自分一人で握っていた。 それは絶対の自信があったからではない。他人に任せる方法を、知らなかったからだ。
放っておけば、天才の頭脳は、いずれ自分の作った会社の中で潰れる。
右腕は、3年先の人数を読む
ハーバード時代、ゲイツと寮の同じ階に住んでいた男。 P&Gでマーケティングを2年学び、スタンフォードのビジネススクールに在籍していた男。
それがバルマーだった。
入社初日、彼が見ていたのは、社員30人の小さな会社ではない。
3年後に成立しているべき会社の人数だった。
・大型契約を捌くには、何人必要か ・ゲイツの面接時間を、誰が代わりに引き受けるのか ・1人の天才が壊れずに走り続けるには、どれだけの組織が要るのか
だから彼は、初日から言った。 「あと50人雇え」
ゲイツは怒鳴った。 「お前は俺の人生を楽にするために来たんじゃないのか。会社を潰しに来てくれとは言ってない」
2ヶ月後、IBMが来た
1980年7月、IBMがマイクロソフトの扉を叩いた。
新しく開発するパーソナルコンピュータに、載せるOSが欲しい。
ゲイツは即決した。 「やります」
問題があった。 マイクロソフトに、OSはなかった。
シアトルの小さな会社から、QDOSというOSを買い取り、書き換えて、MS-DOSとしてIBMに納品する。
ここまでなら、ただの下請け仕事だ。
だが、契約書には1行が残された。
「マイクロソフトは、このOSを他の企業にも販売できる」
非独占ライセンス。
IBMはこの条項を、特に問題視しなかった。 世界の標準は、我々IBMだ。他社にどう売られようと、たかが知れている。
そう信じていたからだ。
下請けではなく、標準になる
数年後、IBM PCの互換機が市場を埋め尽くす。
コンパック、デル、HP。 そのすべてに、MS-DOSが載った。 わずか1年で、70社以上にライセンスが渡った。
IBMはハードを売っていた。 マイクロソフトは、全PCの「中身」を売っていた。
下請けは、上の意向に従うしかない。 標準は、上に条件を突きつけられる。
契約書のたった1行が、力学を完全に逆転させた。
「50人雇え」が効いた瞬間
70社のOEM契約。
それを捌き、対応し、ライセンス料を回収し、サポートし続ける。
これは、30人の会社では絶対に成立しない仕事量だった。
入社初日のバルマーが見ていた未来は、ここだった。 契約が来てから人を雇うのでは、間に合わない。
規模は、需要の前に作っておく。
天才の閃きが「契約」を取った。 右腕の設計が、その契約を「事業」に変えた。
ゲイツは後年、こう語っている。
「彼は、私に人の雇い方を教えた。優秀な人を、組織として雇う方法を」
会社を潰しに来た男が、世界を取った
入社初日、ゲイツに「潰しに来た」と言われた男は、結果的に何をやったか。
・社員30人の会社を、数千人規模の組織へ拡大 ・IBM契約のOEM条項を活かす、70社対応の体制を構築 ・ゲイツがコードを書ける時間を、徹底的に守り続けた
潰そうとしたのではない。 潰れない構造を、需要の前に組み立てただけだ。
前進をつくるのがトップ。 壊れない設計をするのが右腕。
右腕とは、 今の規模では「やりすぎ」に見える判断を、3年後の標準にする人間のことだ。
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