【安藤百福】カップヌードルと、戦った男
安藤百福の発明を『世界ブランド』に変えた右腕・安藤宏基
1985年、日清食品。
社長に就任したばかりの安藤宏基は、社員への訓示でこう言い放った。
「カップヌードルを、ぶっつぶせ」
それは父・安藤百福の最高傑作であり、会社の売上を支える大黒柱だった。
創業者は、激怒した。
説得には、2、3ヶ月かかったという。
息子はなぜ、父の発明に宣戦布告したのか。
この宣言が、日清食品を『一発明の会社』から『世界ブランドの会社』に変えていく。
父は、未来を発明した
安藤百福は、発明の天才だった。
戦後の食糧難。
闇市のラーメン屋台に並ぶ長い行列を見て、思った。
家庭で、手軽に食べられるラーメンは作れないか。
自宅裏に建てた小屋にこもり、1年以上の試行錯誤の末に生み出したのが、世界初のインスタントラーメンだった。
1958年、チキンラーメン誕生。
百福、このとき48歳。
さらに1966年、アメリカ視察で運命の光景に出会う。
現地のスーパーの担当者が、チキンラーメンを割って紙コップに入れ、お湯を注ぎ、フォークで食べ始めたのだ。
丼も箸もない国で、麺を売る方法。
答えは、器ごと売ることだった。
1971年、世界初のカップ麺、カップヌードル発売。
翌1972年、あさま山荘事件。
極寒の現場で機動隊員がすする湯気の立ったカップヌードルが全国に中継され、この新商品は一夜にして国民食への道を歩み始める。
百福の信念は、一貫していた。
『食足世平』。
食が足りてこそ、世の中は平和になる。
だが、発明だけでは文化にならない。
どんな傑作も、守られるだけなら、時間とともに古びていく。
息子は、入社した日から戦っていた
宏基は、次男だった。
慶應義塾大学を出て、コロンビア大学に留学。
1973年、25歳で日清食品に入社する。
マーケティング部長時代に手がけたヒット商品の名を聞けば、この男の本質がわかる。
どん兵衛。
日清焼そばU.F.O.。
どちらも、社内でカップヌードルと客を奪い合う商品だ。
つまり宏基は、社長になるずっと前から、父の傑作と戦うブランドを作り続けていた。
1981年、百福は会長に退き、社長には異母兄の宏寿が就いた。
だが兄は、2年で退任する。
そして1985年6月。
宏基が37歳で社長に就任し、全社員へむけて「カップヌードルをぶっつぶせ」という伝説の訓示を行った。
『ぶっつぶせ』の真意
激怒する父に、宏基は説明した。
カップヌードルを社内からぶっつぶすような商品を、たくさん作ることが目的です。
日清の中にコカ・コーラとペプシの両方を持てば、最強の会社になれる。
理屈は、こうだ。
エースブランドを社内で守れば、組織はエースと一緒に老いる。
社内で潰し合わせれば、勝ち残ったブランドだけが、外の市場で戦える。
この思想は後に、ブランドマネージャー制度として結実する。
各ブランドの責任者は、自分のブランドの成功だけを考えればいい。
全社の利益は、顧みなくていい。
ブランド同士は社内でも別会社のように扱われ、他チームのブランドを使いたければ、ライセンス料を払って借りる。
そして社内スローガンには、言葉がそのまま掲げられた。
『カップヌードルをぶっつぶせ』。
守るために、壊しにいく。
最強の防衛は、自社による攻撃だった。
父と、20年戦い続けた
百福は、マーケティングを信用していなかった。
発明がすべて。
良いものは、売れる。
対する宏基は、ブランドと仕組みの人だった。
親子は仕事のたびに衝突を繰り返しながら、それでも百福が会長、宏基が社長という体制で、20年以上並走する。
その間にカップヌードルは、潰されるどころか、世界中で売られるブランドへと成長した。
社内の挑戦者に磨かれ続けたエースは、老いなかったのだ。
一方の百福も、最後まで発明家だった。
2005年、95歳。
宇宙飛行士・野口聡一のために、宇宙食ラーメン『スペース・ラム』を開発してみせた。
2007年1月、安藤百福死去。96歳。
発明する父と、戦わせる息子。
どちらが欠けても、いまの日清食品はない。
三代目も、戦う側に立った
物語には、続きがある。
宏基の長男、安藤徳隆。
徳隆もまた、既存の枠の外からキャリアを作った。
自ら立ち上げ、育てたブランドは、カレーメシ。
麺の会社で、あえてメシで勝負する。
カップヌードルと食卓を奪い合う挑戦者を、自分の手で作ったのだ。
祖父の傑作に、父が挑み、その父の会社に、息子が挑む。
2015年、徳隆は事業会社である日清食品の社長に就任した。
宏基はホールディングスのCEOとして、その隣に立つ。
かつての百福と宏基と、同じ構図だった。
トップと、次の時代を仕掛ける右腕。
この会社は、二人一組の体制を三代にわたって繰り返している。
2025年、徳隆は一冊の本を出した。
タイトルは『日清食品をぶっつぶせ』。
祖父の傑作をぶっつぶせと言った父を超えて、今度は会社そのものをぶっつぶせと言う。
自らを壊し続ける限り、誰にも壊されない。
戦い方そのものが、この一族の家訓になった。
百福が発明した未来を、宏基は戦わせることで守り抜いた。
そしてその戦い方ごと、次の右腕に手渡した。
右腕とは、
トップの最高傑作と戦うことで、それを守り抜く人間のことだ。
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