【岡田武史】岡田を、呼び戻した男
岡田武史の2度のW杯を、隣で見続けた右腕・小野剛
2007年11月16日、夜。
サッカー日本代表監督のイビチャ・オシムが、自宅で脳梗塞に倒れた。
W杯予選の真っ最中。
代表は、突然指揮官を失った。
協会は、次の監督を急いで決めなければならなかった。
そのとき、日本サッカー協会の技術委員長として後任候補を探していたのは、小野剛だった。
彼は、迷わず一人の男に電話をした。
岡田武史。
9年前、フランスW杯で3戦全敗を喫し、代表監督の座を降りた男だった。
「もう一度、やってくれ」
岡田は固辞した。だが、小野剛は引かなかった。
12月、岡田武史の代表監督再就任が正式に発表される。
彼を日本代表に「呼び戻した」のは、たった一人の盟友だった。
9年前、絶望の崖っぷち
時計は、1997年10月に巻き戻る。
W杯フランス大会、アジア最終予選。
日本代表は、敗退寸前まで追い込まれていた。
成績不信で、加茂周監督が更迭された。
後任に指名されたのが、ヘッドコーチだった岡田武史だった。
41歳。Jクラブの監督経験すらない男が、絶望の崖っぷちで監督に昇格した。
岡田は、即座に動いた。協会に、一人の男を呼んでくれと頼んだ。
筑波大学で助手として、日本代表のスカウティング(戦力分析)を続けてきた男。
1996年アトランタ五輪「マイアミの奇跡」で、ブラジル戦の戦術データを作り上げた男。
小野剛だった。
右腕は、データで支える
岡田と小野剛は、即席のコンビではない。
二人とも、1962年生まれ。岡田が早稲田大学、小野剛が筑波大学。
若い頃から、日本サッカー界の指導者育成の中で交差してきた。
岡田が信頼したのは、小野剛の戦術分析力だった。
相手チームを、データで丸裸にする。
弱点を、数字で言語化する。
対策を、選手が理解できる言葉に翻訳する。
岡田が「決める人」だとすれば、小野剛は「決断の材料を整える人」だった。
ジョホールバルの歓喜。1997年11月、岡野雅行のVゴール。
日本代表初のW杯出場が決まった試合。
その裏には、戦術分析を黙々と続けた一人の右腕がいた。
カズを外した夜
1998年6月2日。
スイスでの事前合宿、本大会開幕8日前。
岡田武史は、決断する。
23人の最終登録メンバーから、三浦知良(カズ)、北澤豪、市川大祐を外す。
カズ。
Jリーグの象徴。
日本代表の顔。
W杯出場の最大の功労者。
その男を、外した。
決断は、岡田一人のものだった。
だが、その決断を支えるデータと、選手のコンディション、戦術上の判断材料は、コーチ陣が積み上げたものだった。
小野剛は、その一人だった。
岡田が後年語ったように、決断は監督の仕事。
だが、決断の材料を集め続けるのは、右腕の仕事だった。
フランス本大会、日本は3戦全敗。
岡田は、契約通り監督の座を降りた。
9年後、もう一度
そして、冒頭のシーンに戻る。
2007年11月、オシム監督が倒れた。
小野剛は、技術委員長として後任を探していた。
候補は何人もいた。
だが、小野剛が選んだのは、9年前にW杯で3戦全敗した岡田武史だった。
過去の結果ではない。
W杯で全敗した経験こそが、必要だと小野剛は判断した。
岡田は、最初は固辞した。
当時、横浜F・マリノス監督でJ1連覇を達成し、その後は中国で指導に当たっていた。
今さら代表監督に戻る理由はなかった。
だが、小野剛は引かなかった。
「絶望の場所を、もう一度歩いてくれ」
岡田は、引き受けた。
2度目の崖っぷち
2010年初頭。
岡田ジャパンは、再び崖っぷちにいた。
2月の東アジア選手権、韓国に1-3完敗。
5月の壮行試合、セルビアに0-3、韓国に0-2。
支持率は16%まで落ちた。
解任論が、メディアを覆った。
そして、W杯開幕直前。
岡田は、もう一度大きな決断を下す。
就任以来掲げてきた「前線からのプレッシング」攻撃的サッカーを、捨てた。
守備重視に転換。
フォーメーションは4-2-3-1から4-1-4-1へ。
アンカーに阿部勇樹を置く。
キャプテンを、ベテランの中澤佑二から長谷部誠に変えた。
2年7ヶ月積み上げてきたものを、本大会直前で全て捨てる決断だった。
その決断を、隣で支えていたのは、変わらず小野剛だった。
技術委員会の組織変更で、小野剛は2009年から育成担当に回っていた。
だが、ザースフェーの合宿、南アフリカの現地。
20年来の盟友は、岡田の決断の隣にいた。
カメルーン戦勝利。
デンマーク戦勝利。
日本は、初の海外開催W杯で決勝トーナメントに進んだ。
ベスト16。
2度、絶望に立ち会った男
岡田武史は、日本代表監督として2度、W杯を戦った。
そのどちらも、絶望の崖っぷちから始まっていた。
1997年、フランス予選崩壊からの昇格。
2007年、オシム倒壊からの再登板。
2度とも、隣にいたのは小野剛だった。
1度目は、岡田が小野剛を呼んだ。
2度目は、小野剛が岡田を呼び戻した。
20年、二人は同じ崖を渡った。
決断したのは、岡田武史。
その決断の材料を、20年積み上げ続けたのが、小野剛。
前に立って決めるのが、トップ。
2度の絶望に、ずっと隣にいたのが、右腕。
右腕とは、トップが「降りた場所」へ、もう一度連れ戻せる人間のことだ。
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