【ウォルト・ディズニー】自分の名前を、消した男
ウォルト・ディズニーの夢に「請求書」で伴走した右腕・ロイ・ディズニー
1966年12月15日、ウォルト・ディズニーが死んだ。
フロリダの巨大プロジェクト『ディズニー・ワールド』は、まだ更地だった。
73歳の兄ロイは、決まっていた引退を取り消す。
弟の夢を、弟のいない世界で完成させるために。
夢は、病室から始まった
1923年10月、ロサンゼルスの退役軍人病院。
結核で療養中の30歳のロイのもとに、22歳の弟が夜中に訪ねてきた。
「アニメスタジオをやる。手伝ってくれ」
ロイは翌朝、病院を出た。
以後、結核が再発することは一度もなかった。
こうして生まれたのがディズニー・ブラザーズ・スタジオ。
社名に『ブラザーズ』が入っていたことを、いま覚えている人は少ない。
弟が夢を語り、兄が銀行に行く
役割は、最初から決まっていた。
ウォルトが創る。
ロイが、金を工面する。
1930年代、ウォルトは前代未聞の企画を打ち上げる。
世界初の長編アニメーション映画『白雪姫』。
業界はこう呼んだ。
『ディズニーの愚行』。
当初の想定予算を、制作費は何倍も超えていく。
最終的に約150万ドル。兄弟は自宅を抵当に入れた。
融資を続けたバンク・オブ・アメリカは、ついに痺れを切らす。
金を出す前に、モノを見せろ。
未完成のフィルムと鉛筆のラフスケッチを前に、審査は下りた。
白雪姫は完成し、空前のヒットとなる。
その間ロイがやり続けたのは、たった一つ。
銀行を安心させながら、追加の金を頼み続けることだった。
「破産する」と言った男が、金を集めた
1950年代、ウォルトは次の夢を語る。
遊園地を作りたい。
ロイは反対した。
金のかかる夢物語の遊園地は、破産への道だ、と。
ウォルトは引かなかった。
自分の生命保険を担保に金を借りてまで、構想を進めた。
そして最後に動いたのは、結局ロイだった。
ニューヨークへ飛び、投資家と銀行に『テーマパーク』という誰も見たことのない事業を説明して回った。
1955年、ディズニーランド開園。
反対した男が、資金調達の先頭に立つ。
兄弟の会社は、いつもこの順番で前に進んだ。
弟のいない、弟の夢
1966年、ウォルト死去。
世間は囁いた。
ウォルトのいないディズニーに、あの巨大プロジェクトは無理だ。
ロイは引退を撤回し、フロリダの建設現場の指揮を執った。
5年後の1971年10月1日、総工費4億ドルのプロジェクトは開園を迎える。
しかも、追加の借金ゼロで。
生涯、金を借り続けた男の、最後の意地だった。
名前を、一つだけ足した
開園を前に、ロイは一つだけ決断を下している。
プロジェクト名『ディズニー・ワールド』に、単語を一つ足した。
『ウォルト・ディズニー・ワールド』。
これがウォルトの夢だったことを、誰にも忘れさせないために。
一方で自分の名前は、消して回った。
園内を走る蒸気機関車に『ロイ・O・ディズニー号』の名が予定されていると知ると、担当者にメモを送っている。
私の名前は外してくれ。私は蒸気機関車に、何も貢献していない。
開園から2ヶ月半後の1971年12月20日、ロイは死去した。78歳。
48年前、病室で弟の夢に頷いた兄は、その夢に弟の名前を刻んで逝った。
右腕とは、 トップの名前が歴史に残るように、自分の名前を消せる人間のことだ。
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