【西野朗】ブーイングを、引き受けた男
西野朗の決断を「ピッチで体現した」右腕・長谷部誠
2018年6月28日、ロシア。
ヴォルゴグラード・アリーナ。
ワールドカップ1次リーグ、最終戦。
日本は、ポーランドに0-1で負けていた。
このまま終われば敗退。
誰もがそう思った。
だが、後半30分すぎ。
ベンチに、ある情報が入る。
別会場でコロンビアがセネガルに1-0でリードしている。
このまま両試合が終われば、日本はフェアプレーポイント差で決勝トーナメントに進める。
そのとき、西野朗監督は決断する。
これ以上、攻めない。
失点もカードも、もらわない。
自陣でパスを回し、時間を流す。
そして後半37分、ベンチから一人の男を送り出した。
主将・長谷部誠。
ピッチには、5万人のブーイングが渦巻いていた。
トップは、勝負を捨てる決断をした
ハリルホジッチ電撃解任。
本大会まで2ヶ月。
技術委員長から監督に昇格した西野朗は、史上類を見ない急造体制でロシアに乗り込んでいた。
コロンビア戦勝利。
セネガル戦引き分け。
ポーランド戦は、突破を決める一戦になるはずだった。
だが、0-1で負けている。
ここで攻めれば、相手のカウンターで2点目を失う可能性がある。
追加カードも、もらいかねない。
西野は、迷っていた。
それまでの自分なら、攻めにいっていた。
だが、と西野は後に振り返る。
「あの時だけは、なぜか知らないけれど(パス回しの考えが)降りてきた」
監督が下したのは、世界中から批判されることを覚悟した決断だった。
右腕は、ピッチで意図を伝える
決断は、監督が下す。
だが、その決断をピッチで体現するのは、選手だ。
それも、ベンチで状況を理解できる選手でなければ、できない。
西野は、アップをしていた本田圭祐ではなく、ベンチに座っていた長谷部誠を選んだ。
なぜか。
長谷部は、3大会連続でW杯のキャプテンマークを巻いてきた男だった。
2010年、南アフリカ。岡田武史監督の下で。
2014年、ブラジル。ザッケローニ監督の下で。
2018年、ロシア。西野朗監督の下で。
3人の異なる監督が、同じ選手にキャプテンを任せた。
その重みを、ピッチに送り込む必要があった。
監督の声を、ジェスチャーに変える
長谷部は、ピッチに入ると、すぐに動いた。
ジェスチャーで、選手たちに監督の意図を伝える。
攻めるな。
カードをもらうな。
パスを、後ろで回せ。
それは、本来選手が嫌がる指示だった。
ピッチで戦っている選手は、攻めたい。
0-1で負けている試合を、こんな終わらせ方をしたくない。
だが、長谷部は、その葛藤を一人で引き受けた。
後に、こう語っている。
「監督から言われた指示を伝えるのは、苦労した」
「選手自身も葛藤はあったと思う。だが、何よりああいう戦い方になって、一番悔しい思いをしているのは監督だ」
5万人のブーイングが響くピッチで、長谷部は、選手の葛藤と、監督の苦悩を、両方とも背負った。
嫌われ役を、ピッチで引き受ける
監督の決断は、後ろから見える。
だが、ピッチの選手たちは、目の前の敵と戦っている。
その2つの視点を繋ぐのは、誰かがやらなければならない。
長谷部は、ベンチから入って、それをやった。
ジェスチャー一つで、11人を一つの方向に向かせた。
試合は、0-1で終わった。
別会場でセネガルが追いつくこともなかった。
日本は、フェアプレーポイントで決勝トーナメントに進んだ。
ベスト16。
だが、試合後の世論は、賞賛ではなかった。
「あんな試合をして恥ずかしくないのか」
「サッカーじゃない」
監督は批判の最前線に立った。
そして、ピッチで指示を体現した長谷部もまた、批判の対象になった。
残ったのは、3大会連続のキャプテンマーク
長谷部誠は、ロシアW杯を最後に、日本代表を引退した。
3大会連続でW杯キャプテンを務めた選手は、日本代表史上、彼一人だ。
異なる3人の監督が、同じ選手にキャプテンを託した。
それは偶然ではない。
決断するのが、トップ。
その決断を、ピッチで体現するのが、右腕。
ベンチの監督と、ピッチの選手。
その間を、ジェスチャー一つで繋げる人間が、いる。
右腕とは、
トップが「これは正解だが、嫌われる」と分かっている決断を、自分の体で引き受ける人間のことだ。
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