過酷ファッションショーの生みの親、ワークマンのCMOへ
ワークマンプラスの、最初の一枚 ―くだらんことが世の中を動かす。独自のPRは、大いなる妄想から。
「こんなの小雨じゃねえか」
本番前日の夜。新宿の会場ルミネゼロで、リハーサルの人工雨を見た男は、そう言い放った。翌日はマスメディア向けの『過酷ファッションショー』。生半可な雨では、その名前が泣く。雨量も風量も極限まで上げ直し、特効の調整は深夜1時、2時まで続いた。
翌日、会場には台風が吹き荒れ、ニュース番組がこぞって取り上げた。『ワークマン=機能性』の第一想起が、世の中へ一気に広がった瞬間だ。仕掛けたのは、今年6月に【株式会社ワークマン】のCMOに就任した林知幸。作業服専門店を国民的ブランドへと押し上げた【ワークマンプラス】の最初のファサード図を描き、過酷ファッションショーを命名し、アンバサダーマーケティングを育てた男だ。本記事では、ワークマン快進撃の『実装者』が初めて語る舞台裏と、広告ゼロからマスマーケティング回帰へと舵を切る新CMOの現在地に迫る。
ショッピングモールのウェア売り場から、始まった
面接に、ワークマンで買ったシャツを着ていった
林は岐阜県で生まれ育った。高校も大学も岐阜県内。学生時代は、家の近くにできたショッピングモールのウェア部門でアルバイトに明け暮れた。紳士服、婦人服、子供服、インナー。ワンフロア全部が衣料品の売り場で、商品を陳列し、POPを取り付ける。その作業が、素直に楽しかった。
その紳士服売り場の一角に、作業服コーナーがあった。売れないから、年々縮小していく棚。だが、林の目には逆に映った。
「その作業服だけで商売してる会社があるっていうのに、すごい興味がありまして」
大学卒業の頃、ワークマンが東海地方へ本格進出するタイミングと重なった。会社説明会で目を引かれた理由の半分は、呼び込みをしていた人事担当が綺麗な方だったからだと林は笑う。もう半分は、作業服というニッチへの純粋な興味だった。岐阜県内に当時1、2店舗しかなかったワークマンの店へ、林は偵察に行った。
「私が入っていいのかしら、と思うような店でした」
入り口で躊躇するような、プロ職人のための店構え。勇気を振り絞って買い物をして、その店で買ったシャツを、入社面接に着ていった。実はこれ、御社で買いました。そう面接官に告げた学生を、ワークマンは採用した。第2次ベビーブーム世代の超買い手市場、東海地方の採用枠はわずか3人。同期の一人は、現在の社長である。
二人で書いた、異動希望
なりたくない部署が、人気ベスト2になるまで
入社から約20年、林は地方の現場を歩き続けた。営業、出店用地の開発、採用、そしてフランチャイズ加盟店と本部の架け橋となるスーパーバイザー。新規エリアを任されるたび、必ず立ちはだかる壁があった。
「ワークマンって、何?って言われるんです。特に西日本。関東の会社だったものですから、何の会社か説明するのにすごい時間をかけて。なんでうちの会社、こんなにみんな知らないんだろうって」
認知がなければ、土地は借りられない。加盟店も集まらない。売上も採用も伸びない。ならば、認知を作る側に回ろう。林が営業企画部への異動を考え始めた頃、九州で一緒に働いていた入社2、3年目の女性部下が、何度希望を出しても営業企画部に行けずにいた。
「じゃあ、そんな甘くないから、試しに私と一緒に書いてみるか、って言って。二人で営業企画部って書いて出したら、私、一回目で通っちゃったんですよ」
何度も書き続けた彼女と、初めて書いた林。二人揃って異動が決まり、九州から関東へやってきた。林はこの人事を、自分の実力だとは言わない。
「彼女を営業企画にさせるのに、僕が見守り役としてついてきたぐらいのものだと思います」
若い彼女を一人で本部に呼ぶより、上司ごと呼べば安心だろう。経営陣の親心のオマケが自分だった、と林は笑う。その彼女は、今もCMOとなった林の部下として働いている。そして当時『なりたくない部署』だった営業企画部は、いま社内で最も人気のある部署のベスト2に入る。この逆転劇こそ、ここから始まる9年間の物語だ。
誰も描いていなかった、一枚の図
ワークマンプラスは、ファサード図から生まれた
2017年2月、林は営業企画部に着任した。当時のワークマンには、データ分析からこのままでは頭打ちになると最初に気づいた男がいた。2012年入社の土屋哲雄、現・専務取締役だ。経営陣に危機意識はある。だが、それを世の中に見える形にする人間が、まだいなかった。
林が最初に変えたのは、年2回、全国の加盟店オーナーを集めて開く展示会だった。作業服一色だった会場を、アウトドア色の強い打ち出しへガラッと転換した。それを見た当時の社長と土屋が動いた。これなら、新業態が出せるんじゃないか。
そして林は、誰にも頼まれていない一枚の図を作る。ショッピングセンターの中にワークマンが出店したら、店はどう見えるのか。そのイメージを立面図、ファサード図に起こしたのだ。

「誰も、作ってなかったと思います、当時」
看板は、文字だけのワークマン。ロードサイドの店とはまるで違う顔。この一枚が経営陣に刺さり、2018年9月、ららぽーと立川立飛に【ワークマンプラス】の1号店がオープンする。作業服の機能性をアウトドアに開放した新業態は、社会現象になった。
社内に反対は、ほとんどなかったという。むしろ、商品開発部が目の色を変えた。
「作業服って、どんなにいいものを使っても目立たないんです。メディアに取り上げられることもない。それが一般の人にも見てもらえるようになる。開発は楽しかったと思いますよ。親からも、何、ワークマンって?って言われるぐらい、そこから飛躍的に認知が上がっていったので」
進め方にも、ワークマン流があった。全社員に大々的に宣言するのではなく、各部の責任者クラスだけを集めて、内々に進める。反対意見が出る前に、形にしてしまう。担当者クラスには、立川に店ができてから知った社員もいたほどだ。
屋内に、台風を起こせ
過酷ファッションショー、命名と特効の舞台裏
ワークマンプラスの翌年、2019年9月。林のキャリアで最も有名な仕事が生まれる。だが、その原型が、加盟店向けのクローズドな展示会にあったことは、ほとんど知られていない。
「実はその展示会で、モデルに作業服を着せてファッションショーをやってたんですよ。バク転してもらったり、踊ってもらったり、ちょっとアクロバティックな動きをしてもらう演出を、少しやってたんですよね」
それを見ていた土屋が言った。ああいうのをもっと派手にして、マスコミ向けにやったらいいんじゃないか。防水機能を見せるなら、水をかけよう。障害物を乗り越えさせよう。企画名はどうするか。モデルにとって、このアトラクションは過酷だ。だったら。
「過酷ファッションショーって何?と言われる名前が、一番いいんです」
ストレートに疑問を抱かせ、実はこういうことなんですと種明かしできる名前。そして迎えた本番前日、冒頭の『小雨じゃねえか』事件が起きる。マスコミからの問い合わせが殺到する中、生半可な演出では過酷の名が泣くと、深夜まで雨量と風量を極限まで引き上げた。
「未だに思い出すと、ゲロ吐きそうなぐらい大変でしたけど」
結果、会場の台風はニュース番組で取り上げられ、機能性のワークマンという第一想起が世の中に刻まれた。60社を超えるメディアが集まったこのショーは、以後ワークマンの名物行事となり、アンバサダーマーケティングの発射台にもなっていく。
ワークマン渋滞と、第二の創業期
成功が生んだ崩壊寸前の日々
認知の爆発は、想像を超える代償も連れてきた。
「お客さんが殺到して、オペレーションだとか、開発する商品の数量だとかが限界を超えちゃって、崩壊寸前まで行ったんです。大手ファーストフード店が、渋滞を起こすことがあるじゃないですか。ワークマンもね、渋滞ができるようになっちゃったんですよ。お巡りさんから怒られたことも何回もあって」
駐車場に入れない車が幹線道路に列を作る。身の丈を超えた打ち出しをしている、と社内で嫌味を言われたこともある。だが、林は打ち出しの手を緩めなかった。機能性の第一想起を獲得するには、大げさなくらいでちょうどいい。それが林の確信だった。
会社は、この成長痛を全社課題として受け止めた。採用を増やし、システムを改善し、スーパーバイザーの質と商品供給体制を見直す。
「今は、第二の創業期なんだと位置付けました」
「全国展開しているアパレル企業さんだって、ある商品がブームの時は相当大変だったって言いますから。それだけの人を雇って、店を作って、商品を作って、支える力が要る。皆さん本当に頑張ってくれたんで、今は思い出として話せるんですけどね」
そして、この時期の葛藤が、林に決定的な整理をもたらした。手段と目的を、混同しないこと。過酷ファッションショーは手段であって、目的ではない。KGIは何か、KPIは何か、成功要因はどこにあるか。販売促進の部署を、マーケティングの部署へ。部員全員がゴールから逆算して動ける組織に変わったことが、ワークマンのマーケティングが評価される土台になったと、林は考えている。
広告ゼロの会社が、CMを打つ理由
アンバサダーの限界と、新CMOの方針転換
2026年6月、林はCMOに就任した。そして、世間のワークマン像を根本から更新する決断を、すでに実行に移している。テレビCMの再開だ。
「僕の記事って、販促費をあまり使わない、広告ゼロでここまでやってきた、みたいに書かれてるんですけど。その部分は、変えていこうかなと思ってまして」
ワークマンのPR活動で代名詞だったアンバサダーマーケティング。インフルエンサーではない熱量の高いファンをアンバサダーに任命し、共同で商品開発と情報発信を行い、双方が育ち合う仕組み。第三者の生の声で商品の良さを伝えるこのモデルは、いまも機能している。だが、林は限界も率直に認める。
「ここまでは広がるけど、これ以上は無理だな、というのはあると思ってるんですね」
SNSのアルゴリズムも変わった。ワークマンをよく見る人にはワークマンの情報が流れてくるが、そうでない人との接点は限られていく。フィルターバブルの時代に、SNSの力だけで認知の壁を超えることはできない。
「この5、6年のSNSマーケティングは、すごい素地になってます。そのデジタルの評価と、マスの評価が掛け合わさることで、大きな認知と信用を獲得していくフェーズに、今なったのかなと」
背景には、社長が掲げる『エッセンシャルストア』というビジョンがある。気候変動で災害が日常になった時代に、ワークマンのウェアを着ていて助かった、と言われる存在になる。個別のシーンで便利な服から、あらゆるシーンで必要不可欠な服へ。機能性という軸だけはブレさせず、打ち出しの手段は時代に合わせて変え続ける。
「昔の記事を読んだ人に、いや、今CMやってるじゃんって結構言われるんですよ。いや、今はそのように変えました、とお答えしております」。
過去の成功を、自分の手で更新する。広告ゼロ神話を作った本人が、その神話を壊しにいく。これが、新CMOの初仕事だ。
くだらんことが、世の中を動かす
妄想力という、最強のマーケティングスキル
持っていてよかった能力を尋ねると、林の答えはスキルの話ではなかった。
「妄想するのが大好きなんですよ、僕。電車で広告を見ると、これを作った人はどういう思いで作ったのかな、ここは上司に言われて直したのかな、とか。勝手に妄想しちゃう。若い頃は、好きな女の子ができると、あの子とあそこにデートに行って、って妄想ばっかりしてました」
くだらない、と笑うなかれ。この妄想力こそが、ファサード図を生み、過酷ファッションショーを生んだ想像力の正体だ。
「いいアイデアって、大概くだらんことなんで」
「過酷ファッションショーなんて、言ってしまえばくだらんことの代表ですよね。ただ、それが評価される。若い子にはたまに言うんです。もっと妄想した方がいいよって。妄想することで想像力がかき立てられて、いいアイデアが出てくるようになるんで」
マスコミにも社員にも、相変わらずくだらんことばっかり考えてますね、と言われるのが一番の評価だと林は言う。企画会議には、明快な判定基準もある。
「部下の誰かが笑うと、あ、これはメディアにウケるって、すぐ分かっちゃうんですよね。じゃあそれでいこうって」
尊敬する人を聞くと、林は迷わず土屋の名を挙げた。こだわりがずば抜けていて、75歳になる今も誰よりクリエイティブなアイデアを出し続ける存在。データ経営の土屋と、妄想力の林。この2人の掛け算が、ワークマンのマーケティングを作ってきた。
視座を高く、視野を広く
CMOは経営者である。これから右腕になる人へ
次のCMO像を尋ねると、林の答えは組織論の核心に触れた。
「CMOとかCxOって言われる人は、もう経営者なんです。ただの営業企画部長ではダメなんですよ。自分の役割が、会社のどの経営課題を解決する要因になるのかを分析できる。そこまで視座を上げられる人を育てていきたい。普通の担当部長から一皮剥けて経営者になる。できる人とできない人がいるので」
そのために林が今取り組んでいるのが、評価の仕組みだ。アイデアを出し、具現化し、世の中にムーブメントを起こした人間を、正確に評価する。ちゃんとやればちゃんと評価される。その実感がなければ、人は動かないし、次の人材も出てこない。
最後に、これから右腕になっていく後輩たちへ、林はこう語った。
「右腕とはいえ、経営者に近い存在になるわけなので、視座を高く、視野を広く持つことはマストです。でないと、社長の一言、役員の一言が理解できない。社長がこうせえと言ったことは、こういうことなんだろうなって、経営目線で考えられないと」
「言われたことを実行するだけなら、右腕にはなれない」
だから今日も林は、電車の中で広告を眺めては妄想し、部下が笑うかどうかで企画を判定し、広告ゼロ神話を自らの手で更新していく。作業服コーナーの縮小を面白がった岐阜の学生は、いま日本で最も語られるマーケティングの、その次の一手を描いている。
もしいま、あなたが誰かの右腕として、「自分のアイデアなんて、くだらないのでは」と迷っているなら、林はこう言うはずだ。
「もっと、妄想した方がいい」
編集後記
ワークマンの快進撃は、これまで土屋専務の戦略の物語としても語られてきた。だが取材で見えたのは、その戦略を『一枚の図』にし、『雨』にし、『名前』にしてきた林CMOの存在だった。誰も描かなかったファサード図と、前日深夜の「こんなの小雨じゃねえか」
戦略は、実装されて初めて世の中を動かす。
くだらんことばかり考えてますね、が最高の褒め言葉だと笑う新CMO。日本一有名なマーケティングの裏側に、日本一楽しそうに妄想する右腕がいた。広告ゼロ神話を自ら壊す次の一手も、きっとどこかの電車の中で生まれている。
プロフィール
岐阜県出身。学生時代のショッピングモール衣料品売り場でのアルバイト経験から衣類に興味を持ち、1996年にワークマンへ入社。約20年にわたり地方で営業・出店開発・採用・スーパーバイザー業務を担った後、2017年に営業企画部へ異動。加盟店向け展示会の刷新、【ワークマンプラス】(2018年)の打ち出し設計、『過酷ファッションショー』(2019年)の企画・命名・演出、アンバサダーマーケティングの推進、【#ワークマン女子】【ワークマンカラーズ】の立ち上げ広報など、ワークマンのブランド転換を実装面から牽引。営業企画部長兼広報部長を経て、2026年6月よりCMO(最高マーケティング責任者)に就任。SNSとマスマーケティングを掛け合わせた次代の認知戦略を指揮する。
会社概要
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