勝たなくていい
天下取りの熱を止めた右腕・本多正信
戦国の世で、「勝たなくていい」と言える人間は、ほとんどいない。
だが、それを繰り返し言い続けた男がいた。
徳川家康の右腕・本多正信である。
トップは、常に前に出たがる
主君・徳川家康は、忍耐の人として知られる。
だが実際の家康は、何度も攻めに傾いた。
・織田の後継争い
・豊臣政権下での立ち回り
・関ヶ原前夜の緊張
一歩間違えれば、徳川家は何度も滅びていた。
そのたびに家康の横で、熱を下げる言葉を吐いたのが正信だった。
右腕は、今やるなと言う役目
正信は、勝ち筋を語らない。語ったのは、負け筋だった。
・今動けば、敵が一つにまとまる
・勝っても、消耗が激しすぎる
・ここで勝つと、次に詰む
つまり彼は、未来の地雷を、事前に言語化していた。
派手な戦功はない。
だが、やらなかった戦は、数え切れない。
関ヶ原前夜、正信が設計したもの
天下分け目の関ヶ原。
世の多くは大勝負と見る。
だが正信の設計は違った。
・勝っても、徳川が突出しすぎない配置
・負けても、家が残る保険
・敵将を完全に敵にしない処理
彼が考えていたのは、戦の勝敗ではなく、その後の統治だった。
勝つことより、勝ったあとに殺されないこと。
それが、右腕の視点だった。
煽らない、勇まない。
正信は他の武将たちから卑怯者や奸臣(悪い家臣)、などと嫌われることも多かった。
彼はそれを一切気にせず、家康と二人きりで策を練る時間を大切にしたという。
周囲の評価を捨てて、主君の生存に全振りした孤独な覚悟が彼にはあった。
正信は、家康を煽らない。
「いけます」「勝てます」とは言わない。
代わりに、こう言い続けた。
・危ない理由
・失うもの
・耐えれば残る未来
だから家康は、感情ではなく理性で判断できた。
天下とは、一気に取るものではない
関ヶ原の勝利のあと、徳川は急激に敵を殲滅しなかった。
粛清しない。潰しすぎない。恐怖で支配しない。
それはすべて、本多正信が描いた『長期安定の設計』だった。
結果として、徳川政権は260年続く。
トップと右腕の定義
トップは、勝ちたがった。右腕は、生き残らせたがった。
トップは、勢いを見た。右腕は、反動を見た。
本多正信がやったのは、徳川家康を止めることではない。
徳川家が続く条件を、言葉にして実行したことだ。
生存戦略としてのブレーキ
右腕は、称えられない。戦功も、武勇も、目立たない。
だが、何も起きなかった歴史の裏には、必ず優秀な右腕がいる。
前進をつくるのはトップ。
生存を守るのは右腕。
右腕とは、勝てる戦いでも「待て」と言える人間のことだ。
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