伊藤博文の国家構想を「条文」に変えた右腕・井上毅

1887年8月6日、深夜。 神奈川・金沢の旅館「東屋」に、泥棒が入った。

盗まれたのは、一つのカバン。 中身は、書きかけの大日本帝国憲法・草案だった。

日本という国の設計図が、物盗りの手に渡った。

幸い、草案は近くの大豆畑で見つかった。 泥棒が抜いていったのは、同封されていた現金約100円だけ。 今の価値で、100万円ほど。

書類には、手がつけられていなかった。

泥棒は、国家の設計図より、目の前の現金を選んだ。 だが、この事件は、起草メンバーを震え上がらせた。

国の根幹を決める文書が、こんなにも簡単に外へ漏れる。

伊藤博文は、決断する。 拠点を、孤島へ移す。

トップは、国の形を構想する

伊藤博文。 初代内閣総理大臣。

彼が背負っていたのは、途方もない仕事だった。

幕末に結ばれた不平等条約を改正するには、日本が「近代国家」だと、世界に認めさせる必要がある。 そのためには、憲法が要る。

伊藤はヨーロッパへ渡り、君主権の強いプロイセン憲法を学んだ。 帰国し、構想を描いた。

天皇を中心とした、近代国家。

だが、構想は、構想のままでは一文字も機能しない。

「こういう国にする」は、誰でも言える。 問題は、それを「条文」に落とせるかどうかだった。

右腕は、孤島に四人を閉じ込めた

盗難事件のあと、伊藤は起草の場所を、横須賀沖の夏島に移した。

当時の夏島は、文字通りの孤島。 船がなければ渡れない。 機密を守るには、これ以上ない場所だった。

その島の別荘、12畳半の一室。 ここに、四人の男が「合宿」で缶詰めになった。

伊藤博文。 伊東巳代治。 金子堅太郎。 そして、井上毅。

伊藤が全体の方向を描く。 井上が、それを条文に変換する。

冷房などない時代の、盛夏。 議論が煮詰まると、四人は部屋を出て、島の海で泳いだ。 そしてまた、机に戻った。

この島で書かれた憲法は、後に「夏島憲法」と呼ばれる。

「グランドデザイナー」と呼ばれた実務家

井上毅は、熊本藩の出身。 若くしてフランスへ渡り、司法制度を調べ尽くした男だった。

彼につけられた異名は、「明治国家形成のグランドデザイナー」。 そしてもう一つ――「冷徹な政治的リアリスト」。

井上の仕事は、伊藤の構想に、骨を入れることだった。

・天皇の権限を、どこまで条文に書くか ・議会に、何を、どこまで認めるか ・誰が、何を、決められるのか

「だいたいこういう感じ」は、一つも許されない。 国の根幹は、解釈の余地を残せば、必ず後で割れる。

井上は、曖昧さを、一語ずつ潰していった。

伊藤が「こうしたい」と言う。 井上は「それは、条文ではこう書くしかありません」と返す。

夢を語る人間と、夢を条文にする人間。 夏島の部屋には、その二役がいた。

曖昧を許さない男が、勅語を書き直す

井上の「曖昧を許さない」性格が、最も鮮烈に出たのは、教育勅語だった。

当初、別の人物が書いた原案があった。 井上は、それを一読して、猛反対する。

理由は、たった一つ。 原案に、宗教色と哲学色が混ざっていたからだ。

井上は考えた。 立憲主義をとる以上、君主は国民の良心の自由に踏み込んではいけない。 宗教にも、哲学にも、政治にも、学問にも――どれにも寄ってはならない。

彼は原案を、全部破棄した。 そして、中立だけを徹底した文章に、ゼロから書き直した。

天皇側近には、儒教に基づく道徳を入れたい儒学者がいた。 井上は、その儒教色も抑え込んだ。

特定の思想に寄った瞬間、その文書は、反対派に攻撃される隙を持つ。 井上が守ろうとしたのは、内容の正しさではない。 誰からも崩されない、構造だった。

残ったのは、「動く国家」という現実

1889年2月11日。 大日本帝国憲法が発布された。

伊藤博文が構想した「近代国家」は、 井上毅の手で、76の条文になった。

構想は、美しい。 だが、構想は動かない。

動くのは、条文だ。 誰が読んでも同じ意味になり、解釈で割れず、運用に耐える――そういう言葉だけが、国家を動かす。

前進をつくるのがトップ。 その構想を、動く形に変えるのが右腕。

右腕とは、 トップが「だいたいこうしたい」と言ったとき、「それを、こう書くしかありません」と返せる人間のことだ。