【イチロー】直さなかった男
イチローの才能を「世界基準」に変えた右腕・仰木彬
その打ち方は、一度、否定されていた。
プロ2年目、1993年。 登録名は、まだ「鈴木」。 成績は、12安打。打率.188。
右足を揺らしてタイミングを取る、奇妙なフォーム。 オリックスの首脳陣は、それを欠点と見た。
直せ。 一軍で通用する打ち方にしろ。
複数のコーチが、フォーム矯正を指示した。 鈴木は、言われた通りに直そうとした。 そして、打てなくなった。
4月、11打数1安打。 二軍へ降格。
天才は、生まれた時点では天才に見えない。 むしろ、最初に否定されるのは、たいてい才能の方だ。
トップの才能は、潰される寸前だった
二軍に戻ってきた「鈴木」のフォームは、ガタガタに崩れていた。
矯正された結果、元の形すら見失っていた。 彼を発掘したスカウトは、その姿にショックを受けたという。
組織は、良かれと思って、才能を削っていた。 誰も悪意はない。 ただ「普通の打ち方」に直そうとしただけだ。
だが、その「普通」が、唯一無二を殺しかけていた。
放っておけば、鈴木一朗は、12安打の選手のまま消えていた。
右腕は、組織と逆を言う
1993年オフ。 オリックスの一軍監督が、仰木彬に代わった。
仰木がやったことは、たった一つ。
直さなかった。
1994年の春季キャンプ。 仰木は、あの奇妙なフォームを見て、矯正を指示しなかった。 それどころか、こう言った。
「1年間、何があっても使い続ける」
これは、ただの励ましではない。 構造を変える決定だった。
「打てなければ、また二軍に落とされる」 その不安が、選手のフォームを崩す。
仰木は、不安そのものを取り除いた。 結果が出ない日があっても、起用は揺らがない。 そう保証することで、才能が縮こまる理由を、消した。
才能を守るための、二つの設計
仰木がやったのは、根性論ではない。 冷静な、二つの設計だった。
一つ。起用を、固定する。
イチローを1番に固定し、2番には堅実な福良淳一を置いた。 130試合中90試合、同じコンビ。 才能が暴れるための、動かない土台を作った。
二つ。名前を、変える。
仰木は「鈴木」というありふれた登録名を、カタカナの「イチロー」に変えることを提案した。 無名の若手を、スターとして売り出すための演出だった。
才能を守るだけでなく、才能が世間に届く回路まで設計していた。
残ったのは、誰も触れなくなったフォーム
1994年。 イチローは、210安打を放った。
当時の日本記録。 打率.385で首位打者。 パ・リーグMVPは、史上最年少だった。
「イチロー」は、その年の流行語大賞になった。
あれほど「直せ」と言われたフォームは、もう誰も触れなくなっていた。 否定されていた打ち方が、リーグの常識を書き換えた。
矯正していれば、消えていた。 仰木は、消さなかっただけだ。
直さない、という判断
才能を見つけるのは、スカウトの仕事だ。 だが、見つかった才能は、たいてい「普通」に直されて死ぬ。
仰木がやったのは、育てることではない。 削られかけた才能から、手を引いたことだ。
・組織が「直せ」と言う中で、直さないと決めた
・結果が出ない時期も、起用を固定し続けた
・才能が縮こまる理由を、一つずつ消した
前進をつくるのはトップ。 その才能を、削らせないのが右腕。
右腕とは、 全員が「直せ」と言う時に、一人だけ「そのままでいい」と言える人間のことだ。
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