やめる勇気を設計した男
松下幸之助の暴走を止めた番頭・水野博之
成功している時ほど、会社は危ない。
売れていた。拡大していた。
誰もが、まだ行けると信じて疑わなかった。
昭和30年代、松下電器(現・パナソニック)は
家電王国として右肩上がりの成長を続けていた。
創業者・松下幸之助は言う。
「需要は、こちらがつくるものや」
工場を増やせ。人を雇え。商品を出せ。
トップの熱狂は、止まらない。
その横で、静かにブレーキを踏み続けた男がいた。
番頭役、そして『冷蔵庫』というニックネームで知られる、水野博之である。
右腕は、盛り上げない
――冷水をかける役に回る
水野は、松下幸之助の情熱を否定しなかった。
だが、数字だけは譲らなかった。
・在庫回転日数
・販売店の資金繰り
・設備投資の回収期間
拡大の陰で、資金の戻りが確実に鈍っている事実を淡々と示し続けた。
派手な反論はしない。感情的な衝突もしない。ただ、こう言い続けた。
「今は、攻める局面ではありません」
撤退を口にできるのは、右腕だけだ
ある新規事業で、松下は強気だった。
広告を打ち、量産体制を敷き、失敗しても続ければ勝てると考えていた。
水野は違った。
・需要は一過性であること
・在庫が現金化する前に資金が詰まること
・続ければ、全体を巻き込むこと
そして、はっきり言った。
「この事業は、やめるべきです」
創業者にとって、撤退は敗北に聞こえる。
それでも水野は引かなかった。
代替案と撤退ラインを、数字で設計して差し出した。
嘘をつかない。夢を盛らない。
水野が信頼された理由は、単純だった。
・悪い数字を隠さない
・楽観シナリオを作らない
・「たぶん」を言わない
だから、松下幸之助は水野の判断に納得し、最終的に撤退を決断できた。
結果としてその判断が、次の成長投資に回す体力を守った。
右腕の仕事は、勢いを削ぐこと
トップは、前を見る。
右腕は、足元を見る。
トップは、夢を語る。
右腕は、続けられる条件を語る。
水野博之がやったのは、松下幸之助を止めることではない。
松下電器が長く生きるため、そしてチルドして賞味期限を伸ばすための減速設計だった。
生存戦略としての沈黙
右腕は、目立たない。称賛もされにくい。
ときには、空気を冷やす。
だが、会社が生き残ったとき、その沈黙はすべて回収される。
前進をつくるのはトップ。生存を守るのは右腕。
右腕とは、
成功している時に「やめよう」と言える人間のことだ。
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