舞台から離れた表現者が、数字で綴る愛の設計図
劇団員が手にした、未知なる数字という台本
「サポーターとして悲しすぎませんか」
大阪・豊中。商店街の喧騒を少し離れた場所に、彼女のピッチはある。物販責任者の徳丸貴子は、画面に並ぶ楽天の販売データと対峙していた。
この会社は、代表・進氏の『サッカーへの圧倒的な愛』から始まっている。 ロジックよりも先に愛がある。好きだから仕入れる。好きだから売れる。好きだから続く。その純粋な哲学を象徴する出来事がある。
ある欧州の強豪チームが敗戦した夜、一本のキャンセル電話が鳴った。ユニフォームを注文した顧客が、「応援しているチームが負けたから注文を取り消したい」と言うのだ。 ビジネスの常識で考えれば、規約を盾に断るか、事務的に処理する場面だろう。しかし、代表は受話器越しに、静かに、しかし魂を揺さぶるような声で返した。
「試合に負けたからキャンセルするって、悲しすぎませんか。サポーターとして、それは悲しすぎませんか」
責めるための言葉ではない。サポーターとしての気持ちを、同じ目線で確かめるような問いかけだった。
その一言に、受話器の向こうの顧客は絶句し、やがて「……分かりました」と電話を切った。商品は予定通り発送された。
熱量は、会社を前に押し出す巨大なエンジンだ。だが、熱だけでは走り続けられない。表現という不確実な世界に身を置いていた徳丸がいま、最も対極にあるデータと計算の世界で、その情熱的な経営者を支えている。
ビジネスの舞台を変えて
徳丸のキャリアの幕開けは、現在のEC運営とは程遠い場所にあった。 彼女は10年以上にわたり劇団に所属し、全国を回る舞台女優として生きてきた。正社員経験はなく、表現することだけが彼女の世界のすべてだった。そんな彼女の運命を変えたのは、結婚だった。
「起業したい」という代表の夢を支えるため、彼女は未知の領域である経営の世界へ足を踏み入れた。最初はパートとしての手伝いからのスタート。扱う商品は欧州サッカーのユニフォームだ。試合結果で急に跳ね、国際大会の翌年は沈む。四年周期で潮目が変わる、波の荒い市場だ。
さらにECはプラットフォームの条件が変われば、昨日までの勝ち筋が今日の負け筋になる。売上が落ちた日、感覚で原因を語っても何も進まない。数字のどこが崩れたのか。どこから崩れたのか。経理としての手伝いから、次第に彼女は組織の心臓部として、EC販売の核心であるデータの取扱と分析を担うようになる。
なぜ、元々劇団員だった徳丸が数字で経営を動かす側へ回れたのか。そのヒントは、10代の頃に演出家から授けられた一言にある。
「毎日を過ごす時から、人間を観察しなさい」
演者として培った徹底した観察眼は、いま顧客のニーズや販売データの推移を見極める力へと形を変えた。 この選手が活躍したら、どの層がどう動くか。彼女にとってのビジネスは、データという名の台本を読み解き、最適な場を演出する行為そのものだったのである。
思い込みを捨てた、5年越しの覚悟
スポーツの商売は、当たり外れが大きい。熱狂が来れば、在庫が一気に消える。外せば、倉庫に眠る。しかもユニフォームはサイズ展開が広く、当たる選手が変われば動くサイズも変わる。仕入れが遅れればチャンスを逃し、積みすぎれば資金が詰まる。売上の波はそのままキャッシュの波になる。
転機は2019年、楽天の勉強会への参加だった。そこで突きつけられたのは、個人の勘や気合いでは通用しないECのシビアな現実。彼女は、月売上を2倍にするという過酷な目標に挑むことになる。
しかし、1度目の挑戦はあえなく失敗に終わった。
「当時は自分の考えが強すぎて、アドバイスを素直に受け入れられなかったんです」。 その後の数年間は、売上が低迷し、生活さえ危ぶまれる時期もあった。自分が外へ働きに出たほうがいいのではないか。そんな葛藤を抱えながらも、彼女は逃げなかった。挫折の痛みを知った彼女が選んだのは、自己否定からの再出発だった。彼女は自らのエゴを完全に捨て去る決意を固めたのである。
そして5年後、再挑戦のチャンスが訪れる。徳丸は以前とは別人のような覚悟を持って取り組んだ。「今度こそ、絶対に失敗を繰り返したくないと思って取り組みました」。徹底的にデータを分析し、外部の声を素直に実行に移し、その結果をまた数字で検証する。そのサイクルを執念深く回し続けた結果、ついに売上2倍の壁を突破。
5年という月日は、彼女を数字で経営を動かす物販責任者へと進化させ、確かな結果という自信を与えた。
ゼロイチのアクセルと、データのブレーキ
代表の進氏は、サッカーと地域への圧倒的な愛を持ち、ゼロからイチを生み出す爆発的なエネルギーの持ち主だ。一方で、彼女は意見が言えなかった時期が長かった。自分に自信がなく、アドバイスも受け取れなかった。その時間を経て、徳丸が辿り着いたのは、声の強さではなく材料の強さだった。
自信が持てない時こそ、経験とデータで状況を可視化し、周囲を動かす材料を整える。データを武器に合意を取り、自信に変えていこう。そう確信した時、彼女の役割が変わってきた。
「どんどん進んで飛んでいこうとする社長に対して、ちょっと待って、そっちで大丈夫? とブレーキをかけるのが今の私の役割です」
そのブレーキは、単なる否定ではない。劇団時代に培われた人間観察力と、蓄積した販売データを掛け合わせた、精緻なナビゲーションだ。 「感覚的な意見が違うとき、説得できる唯一の方法はデータしかないんです」 トップの情熱を、市場のニーズへと変換する。夫が描く理想を、現実的な勝てる戦略へと修正していく。
「負けたからキャンセルなんて、サポーターとして悲しくないですか」 とお客さんに伝える、そのあまりに純粋な、しかし商売としては危ういほどの愛を、彼女は否定しない。その熱量を尊重しながら、裏側でデータに基づいた在庫管理とキャッシュフローを冷静に整える。この絶妙なバランスこそが、グローカルフットボールという組織の真の強みとなっている。
数字の先に描くリアル
現在、同社は即時性や通年で売れる汎用品の拡充により、盤石な収益構造を築きつつある。だが、デジタルな数字を追う徳丸の見据える未来は、画面の向こう側だけではなく、常にその先にいる人を見ている。
「本当は、人と会いながら売るほうが好きなんですよ。次は、期間限定でもアンテナショップでもいい。お客様と直接会いながら販売できるリアルな場を作りたいんです」
販売増減のサイクルをデータで読み解き、売上の平準化を達成したその先で、彼女は期間限定のアンテナショップという『リアルな舞台』を目論んでいる。
かつて舞台の上で感じたような人の熱が感じる場所を作ること。それが彼女の次なる目標だ。
最後に、かつての自分と同じように自信を持てない二番手へ向けて。徳丸は静かに、力強くエールを送る。
「トップのような決断力がなくてもいいんです。状況を把握して、動かすための材料をつくればいい。もし自信が持てないなら、データを味方につけてください。主観じゃなく、可視化した事実で人を動かす。データを武器に合意を取り、それを積み重ねていけば、いつかそれは自信になります」
派手な一手で流れを変えるのではない。崩れない形に整え、確実に前へ進む道筋をつくる。
舞台から離れた表現者は今、数字で綴った設計図を手に、経営という名のステージで物語を動かしている。誰よりも確かな足取りで。
【編集後記】
徳丸さんの取材で最も胸を打たれたのは、「5年かかって、ようやく素直になれた」という一言でした。多くの彼女が語ってくれたのはビジネス書にあるような成功のノウハウでは無く、自分のエゴを捨て、事実を受け入れるまでの長い歳月です。感性の方がデータを武器にし、可視化された事実で道を作っていく。その姿に、力強さと自信を見た気がします。
プロフィール
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