アルバイトで見た崩壊から16年、部長へ
二人乗り自転車 ―どちらかが漕ぐのをやめたら、倒れる。そこから始まった16年。
「机の上にPCも何もなく、電話機が乗っかってるだけやった」
広々とした、殺風景なオフィス。昼間の空き時間で始めたコールセンターのアルバイト。その席から、松原は会社が崩れていくのを見ていた。創業からわずか数ヶ月。社員が辞め、アルバイトが辞め、最後に残ったのは、代表・松本と、アルバイトの松原だけだった。
そこから16年。2人だった会社は約20人になり、コールスタッフ要員だったアルバイトは、人事・事務・コールセンターを統括する部長になった。大阪でビジネスフォン・OA機器・通信インフラを扱う【株式会社Master’d】の組織運営を一手に担う男が編み出した『やるか、やらないかなら、やる』の決断基準と、二人乗り自転車の16年に迫る。
序章の男
創業直後の崩壊を、アルバイトの席から見ていた
松原は愛知県で生まれ育ち、大学卒業まで22年間を愛知で過ごした。新卒で入った名古屋の上場企業では、トナー販売の営業職。配属は1年目から大阪だった。以来20年、大阪で生きてきた。
4年で会社を辞め、化粧品やサプリメントを扱う個人事業主として独立。20代の前半から中盤、時間もエネルギーもあり余っていた時期を、松原は「めっちゃ楽しかった」と振り返る。だが、収入は当然、上下する。空いた昼間の時間を使って始めたアルバイトが、できたばかりの【Master’d】のコールセンターだった。あの、電話機だけが乗った殺風景なオフィスだ。
できたばかりの会社特有の、新鮮な空気。ここからどうなっていくんやろう、というワクワク。だが、その空気は長く続かなかった。
「スタートしてすぐくらいでつまづいて、もう崩壊して。その形は全くないような感じ」。
崩れていく会社を、松原はアルバイトという半歩外の立場から、冷静に見ていた。中にいるけれど、当事者ではない。だからこそ見えるものがあった。
同じ頃、松原自身の個人事業も行き詰まりが見え始めていた。ここから先は厳しいな、という感覚。二つのタイミングが、重なった。
「どうせ今崩れて、二人でやることになりそうやし、一からこっち頑張ってみようか」。
当時28、29歳。エネルギーはまだあり余っていた。新卒時代に見た、30代、40代の先輩たちの姿。家と事務所の往復になって、仕事も楽しそうじゃない未来。それが嫌で個人の道を選んだ男にとって、崩壊した会社を一から立て直すという選択は、リスクではなく、チャレンジだった。
「うまくいけば、創業のメンバーっていう意味合いになる。そのチャレンジの瞬間が来てるんやったら、やってみて損はないんちゃうかなと感じた」。
ここまでが、序章。ここからが、第一章。松原は、自分の16年をそう区切る。
二人乗り自転車
どちらかが漕ぐのをやめたら、倒れる
2人になった【Master’d】の分業は、シンプルだった。松原がコールスタッフとして電話でアポを取り、代表・松本が現場に出てクロージングする。
「どっちかでもこぐのやめたら、止まるで」。
「売上を左右するのって、もう2人しかいてないんで。アポ取らんとあかんし、現場行って決めなあかんし。どっちかでもこければ、売上がゼロになる。自転車操業の極みじゃないけど、二人乗り自転車のような」。
会社が潰れるかどうかが、文字通り自分たち2人にかかっている。誰一人、手を抜けない。毎月、今月どうするかを真剣に考え続ける。怖さと隣り合わせの日々。だが、松原はその時期を、こうも語る。
「こけたらもうやばいみたいな状況だったから怖い気持ちもあったけど、同時にワクワクする感覚もあったから、楽しかったのもあります。今得られないスリルがあった」。
そして、この時期のもう一つの顔が、衝突だった。同い年の代表と、毎日のようにぶつかった。
「意見の食い違いがめちゃくちゃ多くて、日々バチバチやってた。会社の方向性とか、お互いに要求してることがずれとったり」。
新人が入った時の扱い、研修の仕組み、営業のやり方、コールスタッフ業務の手順、事務処理の方法。何かにつけて、ぶつかった。プランを考えない代表に『この後困るのは俺たちやで』と迫り、実際に問題が起これば『だから言ったやん』『でもしゃあないやん』とまたぶつかる。
だが、松原はこの衝突から逃げなかった。
「とにかく思ってることがあるんやったら、ぶつけ合う」。
「その回数をたくさんやることによって、お互いが欲してることとか考えてることが、わかるようになってくる。雨降って地固まるじゃないけど、始めのうちにやったからこそ、土壌ができた」。
方向性のずれは、ぶつけ合いの回数だけ、すり合わさっていった。会社のルールも、研修の型も、事務の処理も、2人で一つずつ地ならしをして作った。今、代表と松原の間に衝突は全くない。ここ5年、一度もない。初めに徹底的にぶつかったからこそ、今の調和がある。
1年限定のエースが、変えた景色
機に乗れた瞬間と、自前で育つ組織への転換
2人と数名の時代を抜けるきっかけは、一人の営業マンだった。
同じ業界で圧倒的な結果を出していた他社のエースが、退職して独立するまでの期間限定で、【Master’d】に来てくれることになったのだ。
「その子の売上がめちゃくちゃすごくて、その時に一気に拡張した。求人広告出して、事務員雇って、コールスタッフのアルバイト増やして。機に乗れた瞬間が、まずそこ」。
この1年で、松原と松本は攻めた。エースの売上が立っているうちに、オフィスの設備を整え、求人に投資し、組織の土台を作った。そして、その期間に入社してきた一人が、現在の営業部長・北原だった。
「自前で営業マンを育てられなかったんですよ、それまで。エースがおるうちに整えてる中で、今の営業部長が育ってきた。ノウハウもギリギリ学べて、バトンタッチができた」。
エースは1年で去った。だが、その1年が残したものは大きい。売上の記憶ではなく、育成の型と、次を担う人材。コロナ禍で訪問営業が止まった時も、半年で立て直した。コロナ明けには新しい営業が育ち、さらに次の営業が続いた。
「今は本当に毎月売上、利益ともに安定してて、ハラハラのスリルが本当になくなった」。
創業期の修羅場が売上の不安だったとすれば、今の課題はマネジメントに移った。スタッフとの認識のずれ、人のやりくり、離職。細かくイライラすることはたくさんある。だが、大事故はない。
「最初のインパクトがちょっと強すぎたんで。あれがいけたら、全部いけるわぐらいのレベル」。
取り切る面接
欲しいと思った人を、絶対に取る力
現在の松原は、プレイングを完全に手放し、マネジメント一本。人事、事務4名、コールセンター10名を統括する。その中で、松原が『自分の能力』と言い切るものが一つある。面接だ。
「欲しいと思った人を、絶対に取る」。
「絶対この会社に入りたい、って思わせるような着地は、絶対に持っていく。取り切る面接というか」。
会社の魅力を、その人が気にしているポイントに合わせて伝え、入りたいと思ってもらい、実際に入社してもらう。営業で言えばクロージングにあたるこの技術を、松原は面接の場で使う。人材獲得競争の激しい時代に、この能力は会社の生命線だ。
源流は、個人事業主時代にある。
「個人でやってたときに、とにかく人に会いまくってたんで。一発勝負の強さというか、一回しか会ってないけど、印象に残ってもらう。その数分で魅力を伝えて、もっと話聞いてみたいなと思わせる。そこで磨いて、さらに面接をこなすことで、精度が上がってきたんちゃうかな」。
2度目のチャンスがない世界で磨いた、一発勝負のコミュニケーション。それが今、【Master’d】の採用力になっている。
やるか、やらないかなら、やる
部長の決断基準と、楽しめという社風
松原の意思決定には、明快なアルゴリズムがある。
「やるかやらないの選択肢があるなら、やる方を選択する」。
「挑戦せんことには分からないことがたくさんあるんで、まずやってみたらいい。いい結果が出たときはハッピーだし、悪い結果が出ても、経験値になって次に活かされる」。
代表への相談には、基準がある。決断に損失やデメリットが伴う場合は、必ず相談する。それ以外は、自分の独断で決めて動き、事後報告する。この線引きが、代表の時間を守り、組織のスピードを保つ。
そして、この『まずやってみよう』は、松原個人の基準にとどまらない。スタッフが仕事で迷いや決断を迫られる場面でも、必ずやる方を選択させる。挑戦の文化を、組織の隅々まで浸透させているのだ。
その土台には、【Master’d】の会社方針がある。
「楽しめ」。
「コール業務させるにも営業させるにも、仕事を楽しんでもらいたいっていうのが結構あって。こうやったらうまくいくよ、っていうことを教えて、各々仕事をしてもらう。その中で、仕事を楽しんでる子は、やっぱり信頼できるというか、一緒に働いててやりやすい」。
松原が信頼する人の条件は、スキルでも経歴でもない。楽しんで仕事ができるかどうか。この基準は、『調和のとれた協力』を社名に掲げる【Master’d】の思想と、深いところで繋がっている。
階段を、駆け上がる
採用が命。中心部への移転と、次の拡張へ
会社の課題を、松原は率直に語る。
「拡大拡張っていうところがずっと課題で。成長曲線が綺麗に右肩上がりになってなくて、階段式になってるというか。特に去年は停滞が長くて、ずっと横ばいやったんですけど、今年に入って一皮向けたなっていうところがあって、人数がぱっと増えて」。
石橋を叩いて渡る代表の堅実さは、【Master’d】の強みであり、同時に成長スピードの制約でもあった。1人取って、2人取って、を繰り返す採用。それが今年、変わり始めた。
「ここで満足せずに、もう一皮向けていく」。
「営業とコール業務に関しては、人数が多ければ多いほど売上が絶対上がっていくんで。だいぶ、採用が命かな」。
目標も具体的だ。現在約20人でオフィスはキャパオーバー間近。梅田、本町、難波、天王寺。大阪の中心部への移転を、松原は見据えている。広くて綺麗なオフィスへ。人数を増やし、働き方のルールも変えていく。
発信にも、意欲がある。会社の公式ブログは、松原自身が月2回、10年間欠かさず更新し続けてきた。SNSにも本腰を入れたい、と語る。地道な継続力と、新しい挑戦への欲。この両輪が、松原のスタイルだ。
5年後の自分については、迷いなくこう答えた。
「マスタードのナンバーツーとして、しっかり引っ張っていける存在であればいいな」。
縦の関係と、ガチャガチャ
これから右腕になる人へ、松原の言葉
16年一緒に走ってきた代表・松本へ、改めて伝えたいことを聞くと、松原は少し考えてから、こう口にした。
「やっぱり、16年一緒にやってこれてよかったな、と思う。社長じゃなかったら、もしかするとここまで続いてこなかったなとも思うし。本当にそこは感謝」。
いつも指示ばかり出しているという社内のメンバーには、照れ混じりの一言。
「言うことを聞いてくれて、ありがとう」。
最後に、これから右腕になっていく後輩たちへ、松原はこう語った。
「社長がおってナンバーツーがおるっていう、縦の関係は大事にした方がよくて。ナンバーワンを立てる。ナンバーツーとして支えていくっていうスタンスは大事だと思う。けど、それで意見を言わないとか、自分の思っていることを言わないっていうのは、また違うと思う」。
「ガチャガチャやったらいいんちゃうかな」。
立てることと、黙ることは違う。支えることと、従うことは違う。毎日バチバチやり合った創業期を経て、5年間衝突ゼロの調和に辿り着いた男の言葉には、実践だけが持つ重みがある。
だから今日も松原は、面接で人を見極め、コールセンターと事務を回し、代表と2人で会社の次の一手を決める。二人乗り自転車は、いつの間にか20人乗りになった。それでも、前で漕ぐ2人の呼吸は、あの頃のまま合い続けている。
もしいま、あなたが社長の右腕として、「トップと衝突してばかりだ」と悩んでいるなら、松原はこう言うはずだ。
「ぶつかった回数だけ、土壌は固まる」。
編集後記
【Master’d】という社名は、ナポレオン・ヒルの『マスターマインド』に由来するという。二つ以上の頭脳が調和のとれた協力をするとき、一つの頭脳よりもはるかに大きなエネルギーを生み出す。取材を終えて、この社名は松本代表と松原氏の16年そのものだと感じた。
毎日バチバチやり合った二人が、ぶつけ合いの回数だけ調和に近づき、今は衝突ゼロで20人の組織を牽引する。崩壊した創業期を知るアルバイトが、誰よりも会社の歴史を体現する部長になった。二つの頭脳の物語は、これから次の拡張へ、新しい章に入っていく。
プロフィール
愛知県出身。新卒で名古屋の上場企業に入社し、1年目から大阪配属でトナー販売の営業を4年間経験。退職後、化粧品・サプリメント販売の個人事業主として約5年間活動。その間、創業直後の株式会社Master'dにコールセンターのアルバイトとして参画し、初期体制の崩壊を経て、代表・松本と2人で会社を再スタート。コールスタッフ業務・人事・組織づくりを担い、現在は部長として人事・事務・コールセンター(計20名前後)を統括。採用面接はすべて自身が担当し、会社公式ブログを10年間、月2回欠かさず更新し続けている。
会社概要
関連記事