諦めない。

犬に対してもお客様にも、現場のスタッフにも。

野村は、同じ距離で視線を注ぎ続ける。

人と犬を見つめる、等身大の眼差し

株式会社ヘイドッグズ。トレーナー6名、パートを含めて約15名。1日で預かる犬は約30頭。1シフトでのスタッフ数はおよそ10名前後。数字だけを見れば大きな事業所では無いかもしれない。

だが命を扱う現場では、どんな小さなミスも重大な事故に直結する可能性がある。よって、メンバーは常にあらゆる状況を想定する。野村はその最前線に立ち、社長の右腕として現場​​と経営の狭間を往復する。

野村は大阪動物専門学校のトレーナーコースを経て、ヘイドッグズのインターンシップを経験した。

一般的なドッグスクールでは大型犬の預かりが少なく、ピットブルなどの特別犬や凶暴とされる犬種の受け入れを断るところが多い。そんな中、ヘイドッグズはどんな犬でも受け入れるという方針に感銘を受けた。

他にも4、5件のインターンシップに参加して比較検討したが、トレーニング面での成長機会だけでなく、スタッフ同士の仲の良さも重要な決定要因だった。職場の雰囲気が非常に良く、楽しく働けそうだと感じたことも、最終的にヘイドッグズを選んだ理由となった。この環境であれば、トレーナーとして大きく成長できると野村は確信した。

一緒に働く人を大事にするのも、野村の特徴だ。後述するが、それは思わぬところで本領を発揮する。

今、野村は入社6年になる。店長を経て、野村は昨年4月に設けられたマネージャー職に抜擢される。異例の出世とも言える速さだった。

静かに迫った、崩壊の危機

そのときも、野村はいつもと変わりなく業務に勤しんでいた。

「私、辞めます」。スタッフが示した、退職という決断。しかも同時期に退職者が相次いだ。

引き止めることもできた。だが野村は、本人の気持ちを考えると意思を尊重したかった。そうして彼女は、3人の背中を見送った。

「そのときが一番つらかったですね」と彼女は振り返る。

トレーナーが7名いたが、一気に4名に減ってしまった。現場は4 人のトレーナーに業務

が集中する形となる。パートスタッフも現場を支えていたが、業務内容上、トレーナーを

中心とした運営が求められた。つまり、少ない人数で現場を回さざるを得ない状況になっ

た。

12月に退職者が出てから翌年4月に2名が入るまでの約3ヶ月程度、現場は疲弊し、いつ負の連鎖が起きてもおかしくない状況だった。この期間中、野村自身も店長として現場を統括しながら、残ったスタッフのケアと業務の継続に奔走した。

いっそ自分も辞めたいと思うこともあった。しかし、「ここまで頑張ってきたのに辞めるのはもったいないなと思っていた。逃げるみたいで」。インターン時代から熟考を重ねて選んだ就職先。残ったメンバーだけが必死で頑張っていることを思うと、自分までも抜けることはやはり、考えられなかった。彼女を支えたのは、ここまで積み上げたものを手放したくないという意地と、共に踏ん張る仲間への責任感だった。

実は、このとき露呈したのは『属人化』の脆さだった。特定の業務が特定の人に集中すれば、一人抜けるだけでも現場は立ち行かなくなる。採用で人数を補えば一時的には回復するものの、同じ構造のままでは元の木阿弥だ。属人化の厳しさを痛感した彼女が取ったアクションは、『ケア』だった。残ったスタッフに対して、積極的なケアを実施した。最も重点を置いたのは、部下に当たる立場のスタッフたちの話をしっかりと聞くことだった。

「下の立場の子だから不満や意見を言えないのは絶対に違うなと思った」という考えから、仕事の終わり時間や合間を利用して話す機会を意識的に作った。

これは正式な会議というよりも、雑談の中で自然にコミュニケーションを取る形で行われた。その中で、野村はできる限りスタッフが本音を言いやすい環境づくりを整え、パートスタッフに対しても同様のケアを行い、スタッフ全員の様子をしっかりと把握することに努めた。前向きな雰囲気を作り、仕事の愚痴や提案を聞き、プライベートの相談にも乗った。

これは、本音を吐き出せる『逃げ場』を作る作業だった。雑談を通じて不満も愚痴も受け止め、全員の心の温度を把握し続ける。この泥臭いまでのコミュニケーションが、崩壊寸前だったチームの足元を固め、再生への一歩となったのだ。

再構築 育成と分業で強度を上げる

その年の4月に2名が入社し、戦力は回復したが、野村は満足しなかった。真の課題は構造である。属人化のままでは同じ轍を踏む。現在、ヘイドッグズでは全員が一定水準のパフォーマンスを発揮できる育成体制の構築と、役割分担の明確化が進んでいる。業務の属人化を解消しつつ、いろいろな業務に挑戦できるよう、体制の見直しの最中だ。また、トレーナーが事務作業に追われることなく本来のトレーニング業務に集中できるよう、事務作業専門の社員を採用した。

責任感が強く、面倒見のよい野村はついつい自分で手を回してしまいそうになる。そこをこらえて、マネージャーとして部下の成長を促すためにも、適切な権限移譲と指導のバランスを取ることが直近の課題だ。

顧客と現場を同時に守る実務

野村はその信念を体現するように、『噛みつき癖のある犬』へのトレーニングに積極的に携わってきた。「噛みつき癖で(飼い主さんが困って)来るワンちゃんのトレーニングは、個人的にすごくやりがいを感じます」

犬の噛みつきは非常に厄介だ。噛みつき行動は犬の恐怖心や不安、環境要因が重なって表れることが多く、適切な対応がなされない場合、飼い主や周囲の人、犬自身にとっても負担になることがある。噛みつき癖が治らない犬はドッグスクールでも匙を投げられることもあるが、野村はそういった犬たちにも真摯に向き合っているのだ。

噛みつき癖のある犬にかかわらず、ヘイドッグズでは飼い主とのヒアリングを大切にしている。「これでトレーニングは終わりです、ということはあまりないです」。どこまでトレーニングするか、どんな部分を矯正していくか。そういった部分まで、顧客と丁寧に掘り下げていく。結果を急がず粘り強く対応する姿勢が信頼を生み、離脱を防ぐ効果を生むのだ。

働いてよかった場所にするために

今、代表からは現在の現場と兼任している状況を1歩進めて、今後は経営者側により近いポジションに来てほしいと言われている。5年後には新しい人材が現場から店長、マネージャーへと昇進することが見込まれる。そうなったとき、野村自身が現場と経営者側の両方の目線で見られる立場に就いてほしいと。

野村自身がより高い、経営者に近い立場になったとき、現在の自分のような人材が新たに必要となる。その人材育成が現状の最重要課題だ。現場スタッフの気持ちを理解しつつ、経営者側の視点も持てる、まさに野村のような人物がもうひとり、ヘイドッグズに生まれることになる。

それはヘイドッグズにとっても、野村にとっても、無論顧客にとっても喜ばしい変化をもたらすはずだ。

2029年、どうしていたいか。その問いに、野村は少し考えてから口を開いた。

「このヘイドッグズでしっかり働いて、“ここで働いてよかった”と思えるような会社作りをしていきたい」

かつて彼女が熟考を重ねて選んだ会社は、野村自身によって『選ばれるヘイドッグズ』へと変革を遂げていくのだ。

編集後記

野村さんは『社長の右腕』としての能力もさることながら、スタッフ、犬、飼い主である顧客と常に視線を合わせて、同じ歩幅で一緒に歩いていくような真摯な温かみがある。そういった点が、上からも下からも、顧客からも信頼される要因なのだろう。ヘイドッグズの展望は明るい。そう感じる取材だった。