組織の右腕に必要なのは、トップへの従順さではない。嫌われる勇気と泥をかぶる覚悟だ。

「税金だけ知ってたらいい仕事じゃないんですよね」

柔らかく笑いながら、そんな言葉をこぼした。

副所長・田邉哲弥、52歳。

言葉の端々ににじむのは、知識よりも人を優先してきた人間の温度だ。正義感は強いのに、押しつけがましくはない。朗らかに笑いながら話すのに、言葉の芯にはいつも重みがある。

「税理士って、数字の専門家って思われがちなんですけどね。
結局、数字の奥にいる人を見てへんかったら、何も分からんのちゃうかな、と思うんです」

いま、この事務所は税理士法人グループ全体で約35名。かつて10名程度だった組織がここまで広がる、その長い時間の中で、彼は右腕として、事務所の成長とともに歩いてきた。

遠回りの履歴書が、右腕の骨格になる

田邉のキャリアは異色だ。新卒で入社したのは新潟本社の大手小売(ホームセンター)。石川県、福井県、滋賀県で店長を務めた後、東大阪の中堅製造業で経理を経験し、25年前に岡本会計事務所の門を叩いた。

当時の彼は、税理士資格を持っていなかった。「簿記2級だけを持って、代表に雇ってもらった」と回想する。入所時の事務所はわずか10名ほど。一番の若手として走り回る日々が始まった。

しかし、現実は甘くない。税理士事務所にいながら、税理士ではない自分。仕事の重圧と試験勉強の両立は、言葉にすると大変で片づくが、実際は『何者でもない自分』と向き合い続ける時間だった。

実に10年を越える日々。「結構苦労しましたよ」と短く、そして明るく語る。だがその言葉の裏には、仕事の重圧と試験勉強、そして何者でもない自分と向き合い続けた、果てしない時間の蓄積がある。彼が今の地位を築いたのは、天才的な才能があったからではない。泥臭い努力を、誰よりも長く継続できたからだ。

近すぎた夜が教えた、右腕の仕事

「あれは、事務所の歴史でも三本の指に入る危機でした」

田邉が、ほんの少し表情を硬くする。

若かりし頃、担当したのは勢いのある若手社長。仕事は速い。決断も速い。だが、感情の振れ幅も大きい。いわゆる情熱に溢れるワンマンタイプだった。

当時の田邉は、距離を縮めることが『良いサービス』だと信じていた。若さ故に顧客へ的確なアドバイスは出来ないかもしれない、自分に出来るのはスピード対応と体力勝負、誘われるままに飲みに行き、連絡が来れば深夜でも返す。要望があれば、やりますと言う。24時間対応に近い没入。

それは献身のつもりだった。けれど後から思えば、あれは信頼ではなく、依存を育てていた。

依存は、やがて支配に形を変える。無理難題、激昂、そして人間としての尊厳を削るような要求――。田邉は耐えることを仕事の一部として飲み込み続けた。

決定的な引き金は、税金の予測をめぐる認識の齟齬だった。数字の話は、時に人格攻撃より鋭い。

田邉は言った。

「こちらから、解約させていただきます」

一言が落ちた瞬間、空気が裂けた。凄まじい怒号が飛んだ。事務所にとっても大きな案件だった。

なぜ耐えられなかったのか、と問われてもおかしくない局面――。ここが、彼の最大の修羅場だった。

では、田邉はどうやって終わらせ、どうやって次に繋げたのか。

答えは、感情的な和解でも、根性論でもない。彼が導き出したのは、むしろ冷たいほどのシステムへの転換だった。

田邉は気づいたのだ。問題はこの案件だけではない。

自分が神対応を続けたことで、顧客にとっては『田邉=サービスそのもの』になり、組織にとっては属人化という歪みが生まれていた。

属人的な過剰サービスは、担当者が変わった瞬間にサービス低下となり牙を剥く。顧客にも、職員にも、そして事務所にも不義理になる。

だから彼は、打開案を仕組みで出した。

誰が担当しても一定の品質、近づきすぎない距離感、要求を受け止める前に、範囲を定義する。

徹底したマニュアル化とチーム対応への移行。言い換えれば、気合いで守ってきたものを、設計で守る方向に舵を切った。

田邉の線引きは、突き詰めると3つ。

①先に対応範囲を決める。
②個人の技を、チームの言葉にする。
③例外は、ルールに落とし込む。

神対応を武勇伝にしない。再現できる形に変える。

「同じ報酬をいただいてるのに、担当者によってサービスが全然違う。
 それはやっぱりフェアやないと思うんです。
 だから、『標準化』ってすごく大事だなと」

この経験は血肉だ。きれいごとや情ではない。

でも、だからこそ強い。田邉がいま副所長として組織拡大の土台をつくれているのは、あの日をトラウマで終わらせず、熱い思いを持ちながら再現性のあるルールに変換したからだ。

修羅場が生んだ攻め方――線を引ける者だけが、前に出られる

あの一言のあとに飛んできた怒号は、田邉の中で終わった話ではない。むしろ、そこから始まった。――感情の後始末ではなく、関係が壊れない設計へ。

近づくことは価値ではない。価値は、むしろ線を引くことで生まれる。

無制限の寄り添いは、善意の顔をして組織を壊す。だから今、田邉は攻めを担う。

ただし、根性で突っ込む攻めではない。標準化で土台を固めたうえで、変革を前に進める攻めだ。

「所長が『守り』を固めてくれるから、僕は『攻め』に集中できる。
この攻守のバランスこそが、組織の生命線だと思ってます」

代表(グループ)はやってみなはれの人。事務所所長はクラシカルな本流を守る人。

だから田邉は、新しい道を切り拓く。トップがカバーしきれない領域、若手との距離の詰め方、評価制度の刷新、採用、そして新しい技術の活用を自分の責任で引き受ける。

必要なら、嫌われ役も買って出る。泥もかぶる。組織のために、線を引く。

「知らぬ間に偉くなってしまって、現場との距離ができる寂しさはある。でも、組織を維持するためには、間に人を置くことも必要なんです」

現場の温度が手元から離れていく孤独。それでも田邉は、組織の骨格を作り続ける。

修羅場は心を削った。けれど同時に、組織が伸びるための攻め方をくれた。

名もなき英雄を増やすために

田邉が見据えるのは、自らのコピーを作ることではない。むしろ逆だ。自分がいなくなっても回る組織を作ること。

「僕がいなくなっても回る組織。それが僕の最後の仕事です」

そのために田邉は、次の世代へ目を配っている。

役員会のあり方を見直し、役員ではない次世代メンバーの参加を進言。任せる、考えさせる、自分ごと化させる。育つための場を、仕組みとして用意していく。

一方で、未来は冷静に見ている。

「税理士業務の多くは、AIに代替される。それは間違いない」

だからこそ、新たに立ち上げた組織『事務合理化センター』に注力する。中小企業の経理を引き受け、自動化し、型化する組織だ。

人の気合いで回してきたものを、仕組みで回す。あの日に得た標準化は、いまや事務所の内側だけじゃない。中小企業の現場へ、外付けの武器として持っていこうとしている。

「機械にできることは機械に。でも、良き相談相手としての人間は残ると思うんです」

次の時代に残る人は、正解を出す人ではない。正解がない現場で、線を引き、意思決定を支える人だ。

最後に、田邉の行動指針が静かに置かれる。

「『義を見てせざるは勇なきなり』という言葉が好きなんです」

正しいと思ったことは主張し、動く。ただし熱さで押し切らない。仕組みに落とし込む。

会社という名の物語を動かしているのは、主役だけではない。舞台袖で台本を書き換え、照明を調整し、演者を鼓舞する――その血の通った決断の連続が、組織を前に進めている。

編集後記

田邉さんの物語は、単なる税理士の成功譚ではない。『属人化と標準化のあいだにある葛藤』を乗り越えたプロフェッショナルの記録である。修羅場で削られた熱意を、仕組みという優しさに変え、組織が壊れない距離を設計してきた記録だ。線を引く勇気が、誰かの仕事を守り、次の一歩を前に進める。